劇作家シェイクスピアの悲劇『ハムレット』の中に、主人公の有名な独白の冒頭で「to be, or not to be」があります。今の私は、「このままか、このままで無いのか」と、訳したくなるような心境です。
このままが良いというのが「保守」で、このままで無いのが良いというのが「革新」である、というふうに種別されるのが、かつての政治であったかと思います。敗戦後しばらく経過した1950年代から、ソ連が崩壊する80年代末頃までは、自由党や当時の民主党、「保守合同」による自民党が保守であり、日本社会党や日本共産党が革新であったと思います。
これだけで、言い切ってしまうと、保守が右寄りで、革新が左寄りと、単純に「仕分け」られてしまうでしょう。ところが、そう短時間で、有無を言わさずに、弁明の機会も与えられずに、「問答無用」に「仕分け」られては、私宮岡治郎の依拠する「保守主義」の真価を、提示する暇がありません。
遡って歴史を俯瞰すれば、1930年台、昭和10年前後の日本では、「革新官僚」といった言葉が、一定の社会的認知を受け、持て囃されたようです。すなわち、このままの日本では無く、軍部と結び付き、「高度国防国家」へと構造改革を目指す動きを、「革新」と修飾しました。
結果的に「戦争を好む国づくり」へと邁進させた勢力です。多少言い過ぎでしょうが、「いつでも戦争を誘発する特異体質の国造り」を達成した、と言えなくもないでしょう。現在の北朝鮮の「先軍思想」を眺めるに付け、かつての日本の国策の誤りを、まざまざと見せ付けられる心持です。
昨今の日本では、戦後の「革新」勢力の、残滓的要素、非現実的に指向する装置の作用が、内政外交等等で、多くの未成熟な要素を、自ら暴露して見せているようです。
政治の不都合な現実が露になるのは、嘆かわしいと共に、一理有りとか、存外の教示を得る機会でもあります。どちらかというと現状維持で、「このまま」の枠内での漸進的な改良を指向する、私宮岡治郎にとって、学習や充電の好機かも知れません。
旧社会党代議士時代は堂々と、野党民主党時代もそこそこに、政権党の一員になっても、アカデミックな大学での学生相手ならば、国政政治家の自戒を十分念頭に置いてならば、正当に発せられたであろうと思える言葉に、ドイツ語「Gewaltapparat」の直訳語があります。
自衛隊や警察等の「Gewaltapparat」といった、威力の行使に当たっては、慎重かつ抑制的であるべし、といった文脈で発したと思われる、社会学・政治学の一般用語の『暴力装置』。
この政治論として示唆に富んだ言葉が、国会ともあろう国権の最高機関で、政治論争の奥行を深める手掛かりとして活用される仕儀と相成りませんでした。
それどころか、現実の大衆迎合政治、片言隻句をあげつらう扇情材料の収集者からは、文民統制(シビリアン・コントロール)の掣肘を受けるべき、重武装集団に対して、「当事者に失礼」といった次元に貶められ、意図的にか、無意識的にか、摩り替えられ、発言者の性格も災いしてか、予期せぬ論争の一方の当事者にさせられてしまうのは、必然性が有ります。 国民の大半が、現下の安全保障の不安を背景に、「大いに憤慨」するのも無理からぬ事です。
そうであっても、政治の使命である、国民への「本質論の提示」において、一定の威力を有する組織の存在の「負の側面」を、国民各自に内面的に自覚させた効果は、絶大であったと思われます。「毒を以って毒を征する」手段での、並々ならぬ至難の業を発揮し、歴史的警句として、後の世に再評価される可能性もある、と考えました。
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