作家長谷川伸(1894~1963)の股旅物戯曲『雪の渡り鳥』は、度々映画化やテレビドラマ化されて来ました。長谷川一夫(1908~84)主演で1957年に映画化された時には、「総天然色大映スコープ映画」として、大映社長永田雅一(1906~85)の「永田ラッパ」の下に、多いに宣伝されたようです。この映画化では、主題歌『雪の渡り鳥』が作詞・作曲され、それを歌ったのが、三波春夫(1923~2001)でした。
太平洋の暖流に近い、気候温暖な伊豆の下田が舞台でありながら、題名が『雪の渡り鳥』となりますと違和感があります。が、主人公の「鯉名の銀平」が、伊豆の天城峠で「雪しぐれ」に遭遇した、あるいは最後の、帆立一家との果し合いの場面で、雪が降った、という設定のようです。
You-tubeでは、1957年版のテイチクレコード、1976年版・1981年版(紅白歌合戦)と1984年版のNHKライブと、複数の三波春夫の歌唱と身振りを視聴する事ができます。聞き比べると、歌い方の変遷も徐々に分かって来ます。
歌詞一番で、故郷の下田への郷愁と、帰郷の困難さを詠嘆した部分、「帰る瀬も無い 伊豆の下田の 灯(ひ)が恋し」の節の現れる様に、「国民的歌手」三波春夫の歌唱は、着実に進化しています。
録音の技術もあるでしょうが、1957年版では、単に歌詞や楽譜の通り、忠実に歌ったものでしょう。映画の上映に間に合わせたもののようですが、その意味では不足はありません。
これが、1976年版のステージでは、独自の裏声の艶を遺憾なく発揮し、音階さえも捉えることが困難なほどに、膨らみを持たせています。以降1981年版、1984年版では、声量は多少衰えたとはいえ、基本的には1976年版を踏襲しています。
「かえ~ェエる~ せもォなァ~ァい い~ず~のォ し~もだのォ~」の、特に裏声に転ずる「せもォなァ~ァい」では、あまり口を動かさずに喉の奥で、かすかに歌っているようにも、映像では読み取れます。
マイクの集音力の技術的な進歩を取り入れたものか、とも思われます。意識したかどうかの有無に関係なく、結果的に浪曲歌謡という音楽文化の歴史的な発展に、卓抜した貢献をしたといえるでしょう。
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