日常使われている言葉が、かなりの率で仏教の教義の中から派生していることを、10数年ほど前に仏教辞典的な書物から習得した事があります。元来は、かなり温和な意味でありながら、派生的な意味合いが生じ、一種の「誤用」もあるようです。
「散華」や「一蓮托生」も、かなり峻烈な使われ方をしていますが、元来はかなり異なった、或る逆の意味も含んでいるようです。
しかし、元来の意味を重々承知はしているものの、自分の窮極的な心情あるいは信条を、他人に正しく理解してもらおうとする場合、適当な用語が見つからず、仏教用語に仮託して、吐露することもあるでしょう。私はこれについては抵抗がありません。
それが言葉の遊びでは無ければ、傾聴に値することがしばしでしょう。勿論、意図的な扇動に使われるのは論外ですが。
コメント