北アフリカの某国では、反政府デモ隊への「武力鎮圧」に、「傭兵」が用いられた、との報道を聴きました。80年ほど前のフランス映画の題名を懐古すれば、「傭兵」を『外人部隊』といったロマンチックな表現と混合する事も、あり得たかもしれません。
しかし、「傭兵」の実態は、法外な報酬と、目的遂行後の逃亡を補償された、「殺し屋」の群れであることが、いずれ白日の下に晒されるかと思われます。今回の大量殺戮に比べれば、要人暗殺の狙撃者や、対立抗争する非合法集団間の刺客などは、かわいいものです。
古代中国の兵法家孫子は、「兵は元来有害である」との大前提の上で、軍事行動を論じています。止む終えず「兵を用いる」場合も、敵味方双方の損害を出来るだけ少なくして、勝つための方策に、腐心しています。
そもそも、軍隊は哲学者カントの哲学を引用すれば「根本悪」であり、無いに越した事はないものです。止むを得ず軍隊がある場合でも、それは国家の統治、それも制服組やかつて制服組であった者を排除した、文民の統制に服さなくてはなりません。「元来有害」である軍隊も、現実の安全保障問題に直面すれば、「文民統制の下での国民自衛軍」までは、容認せざるを得ないところです。
この度の、北アフリカの某国の事態は、私の想定する範囲では、最悪の事態であり、最も次元の低い有様です。
また、かつての「大日本陸海軍」は、「天皇の軍隊」・「皇軍」であり、「国民軍」ではなかったという事柄も、根本的に重要視しなければなりません。
その上に、統帥権が内閣に無い事を梃子として、次第に軍部が独走したのが、かつての日本の歴史上最大の悲劇でした。
さらに、悪質なのが「独裁者の私兵」でしょう。現在の東アジアの某国の軍隊は、「将軍様」のもとで、そうなっているようです。
それをまた更に下回って、最も悪いのが「外国から徴募する傭兵」でしょう。
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