東日本大震災で、地震や津波それ自体は天災であり、全人類が経済的な損失や不都合も含めて、「被害者」となるでしょう。
しかし、原子力発電所の事故は、天災と人災の按分比率がいかように解釈されるとも、複合的に混合されても、その災厄の膨大さを分母とすれば、人災の側面が余りにも多きく、全体の電力供給の2、3割の節約で、そもそもその存在が無用であったことを考えあわせると、多くの人々の加害責任は免れないでしょう。
明確な哲学に基づいた、更に科学的知識に基づいた立場で、「反原発」を堂々と唱え続けた、少数派で、マイナーなコミュニケーションの場しか与えられなかった人々を除外すれば、それ以外の大部分の人々は、積極的であろうと消極的であろうと、能動的であろうと受動的であろうと、『原発安全神話』形成の加担者と見做しても良いでしょう。
もちろん、私宮岡治郎もその加担者として「同罪」です。今後の人生の目標あるいは余生の処し方は、その贖罪に多くを費やされるでしょう。
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