『塩ノ山』の名は、古今和歌集に、「志ほの山 さしでの磯に する千鳥 君が御世をは 八千代とぞなく」と読まれた時代に、甲府盆地内の孤立した山である為に、盆地内を東西南北の「四方」を眺められる山という意味の、『四方の山』に由来するようです。岩塩が採掘出来るという訳ではありません。
甲斐の国は、元来塩が不足するので、潜在的な願望を含んで『四方の山』が『塩ノ山』と呼ばれ、南麓の禅寺が開基された際に、山号として『塩山』(えんざん)と命名されたのが、地名としての『塩山』の起こりのようです。
また、『塩の山』は、地元では元来赤松の山として親しまれてきたようです。数十年前の松枯れ病の被害で、樹木の植生はかなり変化しています。部分的には、赤松の苗木を植えて、再生を目指しているようでした。
山頂付近は高木に囲まれ、南西方向だけが視界が開けていました。笛吹川や甲府盆地の中心部方面で、晴天であれば、遥かに南アルプスを望むことになります。北側の山地が南にせり出す形で、盆地がくびれるため、甲府市の市街地は良くは見えませんでした。
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