午後10時頃から11時45分頃まで、NHKテレビのBSプレミアムで、1958年制作の映画『無法松の一生』(監督 稲垣浩)を鑑賞しました。
題字や出演者、スタッフの名の表示の時点から、團伊玖磨の音楽や子どもの遊具の画像が繊細で、この映画の特質が提示されていました。映像の中でも、芝居小屋の場面や小倉祇園祭りの場面は、セットやカメラワークが特に充実していました。
明治時代の日露戦争頃から、大正時代の第一次世界大戦後の頃まで、おおよそ1905年から1920年頃までの、九州小倉が舞台となっているようです。途中、主人公の回想場面で明治初期の1870年代の逸話も挿入されます。
主人公の車夫富島松五郎が、陸軍大尉の未亡人に対する慕情の念の代償行為として、その遺児「吉岡のぼんぼん」の成長に助力する等、「男の美学」を貫くというのが本筋です。また、「小倉太鼓の暴れ打ち」の華々しい見せ場もあります。
しかし、老境に至ってからの寂寥感や人間的苦悩が存外深く描かれている事に、今回の鑑賞で気が付きました。私自身55歳となり、松五郎の人生の終幕と同年齢に達したので、身に沁みるからでしょうか。冬の雪の中で倒れ、生命を象徴する車軸の回転が止まる場面は、身につまされました。以前の自分では分からないものでした。
この題材は4回映画化されています。1943年、1958年、1963年、1965年です。おそらくテレビドラマ化もされ、演劇の上演は無数にあるでしょう。演歌でも「無法松の一生」(村田英雄)や「あばれ太鼓」(坂本冬美)として歌われています。
私自身は、1965年に当時新作の勝新太郎版を映画館で鑑賞しており、1975年に1943年の坂東妻三郎版を映画館で鑑賞しています。今回の三船敏郎版は、以前テレビで断片的に鑑賞した事がありました。
現代の視点では、かなり古風な主題となるかと思いますが、私にとって、10歳から55歳に至るまでの自身の人生の中で、何度も反芻し、その都度感慨に浸る題材になっています。