日高市では2016年に、『高麗郡建郡1300年』の催しを予定しているそうです。
朝鮮半島北部から中国東北部にかけてかつて栄えた高句麗が滅亡し、王族の高麗王若光達が日本に渡来し、後に現在の日高市の高麗神社付近を中心に入植し、朝廷が武蔵国入間郡の一部を高麗郡として建郡したのが716年です。
ここまでの論述は正しいのですが、その内容について従来の認識を補正することになりました。
すなわち、716年の建郡当初は、現在の日高市と飯能市のほぼ全域が範囲であり、その後に徐々に、鶴ヶ島市全域、入間市西武地区、狭山市水富地区、川越市霞ヶ関地区へと拡大したようです。どういった時系列か順番かは今のところ不明ですが。
したがって、私の住んでいる入間市西武地区の仏子も、716年よりは後の時代に入間郡から高麗郡になったようです。その後武蔵国高麗郡仏子村の時代がおそらく千年以上続いたものと推測されます。
明治維新後は明治初期の混乱期を経て、1876年に埼玉県高麗郡仏子村、1889年の町村制度発足時に埼玉県高麗郡元加治村と変遷しました。
1896年(明治29年)に、高麗郡から入間郡への「復帰」で、埼玉県入間郡元加治村となったようです。
その後は、1943年の戦時下の緊急的な措置で、埼玉県入間郡飯能町仏子、敗戦後の1953年に埼玉県入間郡西武町に、そして1967年4月1日に、埼玉県入間市仏子となって現在に至っています。
コメント