「青春とは酒無しでの陶酔である」(Jugend ist Trunkheit ohne Wein)と、ドイツの格言あるいは箴言にありました。意訳すれば「若者は酒抜きでも、既に酔っている」となるかと考えます。
しかし、現代社会は若者を左程には簡単に酔わせてはくれず。酔いたくも無いのが、ここ十数年来の青春群像であるようです。
第二の団塊の世代である、1974年前後生まれの世代に取って、代表的なミュージシャンのミスターチルドレンの一連の曲も、なかなか現実的で、夢見る余裕を与えないことに驚きました。
若いのに屈折しているとも思えますし、ジグザグに人生を歩まずには生きられない、といった現実の重みを独特の歌詞と音楽で伝え、多くの共感を得てきたのでしょうか。
例えば、歌詞の次のような部分です。
「・・・陽の~あた~る坂ヵ~道を~ 昇~るその前に~ また何処かで 会えるといいな イノセントワールド」(作詞・作曲 桜井和寿)
私の主観的な判断では、作家石坂洋次郎の小説で、石原裕次郎主演の映画となり(1958年制作)、その後もたびたび映画化やテレビドラマ化された題名、『陽のあたる坂道』から抜き出した句であろうかと想像されます。
オリジナルな意味合いでは、ヒロインの家庭教師(北原三枝)が、世田谷区成城か大田区田園調布の辺りの高級住宅地の、「陽のあたる場所」の坂道を「上った」先にあるのは、裕福な会社社長の邸宅であり、そこでは複雑な家庭事情を抱える中で、拗ね者の次男(裕次郎)が、偶然出迎えるといった筋書きとなっています。
ところが、歌詞の方は「・・・陽のあたる坂道を昇るその前に、・・・」と、オリジナルの設定が完全に途切れています。
何かまっとうな存在と、ぐれた存在との対比。前者からの後者への救済の本筋に至らず。特に、裕次郎のようなカッコイイ男が登場する分けでも無く。もちろんスポーツカーやヨットのような小道具も出て来ません。
これこそが、「当世若者気質(とうせいわかものかたぎ)」を代表する、ヒット曲『イノセントワールド』に表象される、若者世代の現実感覚のようです。
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