私の国際交流の仕事は、1979年、青梅市とドイツのボッパルト市との姉妹都市交流の通訳の手伝いをして以来、既に32年が経過します。私なりに、国際交流の妙諦らしきものが形成されつあります。
その第一が、双方の国情や習慣の差異を論ずるよりも、共通性を論ずる方が成果が上がるというものです。意思の疎通の中で、共通項を見出す作業へと話題を誘導するように、心掛けています。
ところが、今から2500年前の中国の思想家孔子は、2500年後の「東夷」の一自治体の入間市と、「西戎」のドイツのヴォ市との、姉妹都市交流の根本義について、確かな助言をしてくれます。すなわち、通り一遍の儀礼では不充分である、という事です。何も、機知を含んだ会話に心掛けよ、というものではありません。
論語の一部を引用しますと、白文(原文)では「使於四方 不辱君命」、書き下し文では「四方に使いして、君命を辱めず。」となります。直訳すれば、「いかなる国に使いとして赴いても、君主の命令を辱め無い。」となります。
自治体の国際交流に当てはめれば、「自治体の代表として、公式行事は勿論、懇親会の席でも、非公式の場であればこそなお更、その挙措が大切であり、自治体の存在や体面を汚さぬように。」となるでしょう。
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