現在の日本について、「四等国」と自称する日本人は、稀であろかと考えます。現在の国政の惨状に憤慨やる方無いお方ですらも、せいぜい「政治は三流」止まりで、極限までお怒りのご同輩ですらも、やはり「政治は三流」が限界であろうかと、お察しします。
諸外国にとって、日本は他国です。「自虐的な」意識が無いだけに、外国人で、日本を殊更貶めて「四等国」よ呼ぶ人は、ほぼ皆無であると考えられます。
「四等国」は「一等国」と表裏一体の関係にある、と前回私は申しました。さすれば、日本が一流と目されてきた経済については、いかがなものでしょうか。
日本経済はどれだけ低迷しても、新興国との相対的な比較論で、その地位が沈下してさえも、せいぜい「二等国」止まりであって、ごく僅かに「三等国」と標榜しても、あまり賛同は得られないと考えられます。
「四」の字から、私は面白い連想をしました。テレビでお馴染みの「遠山の金さん」のことです。正式名は「遠山の金四郎」です。江戸南町奉行所の御白州の場に御出座するのは、「遠山の金四郎」でなくてはなりません。金三郎でも金二郎でも、役不足です。
かほどに「四等国」は、十分な貫禄を発揮する場合もあるのです。
ところで、「四等国」に変わって、「怠惰で無自覚な国民」を、鼓舞する言葉に「自虐史」があることに気がつきました。 かつて敗戦直後から暫く、「四等国」を連発した遺伝子DNAは、今や「自虐史」にその軟着陸地点、安住の地を得たようです。
「四等国」と「自虐史」には、共通項があります。 どちらも虚構であるということです。 前者についっては、充分に説明したかと考えます。 後者については、対立概念が見当たりません。
「自虐史」と国語的に反対となる言語を作り出せば、「自尊史」となるでしょうか。 要するに、自国の歴史に誇りを持てという論法です。
ここに、大きな矛盾が生じます。すなわち、一旦は便宜上「四等国」を唱え、国民を貶めたた人々やその末裔が、今度は同じ日本人一般、「自尊史」を推奨し、誇りを持てと押し付ける矛盾です。
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