2日目の朝は、朝風呂後、居室の西側の窓から、道路を隔てて、鳴子小学校の校庭を児童が登校するのが、よく眺められました。
バスで出発後は、岩出山の「道の駅」『あ・ら・伊達な道の駅』に寄りました。かつて戦国時代、伊達政宗が会津黒川城を去り、後に仙台に城を構える前に、12年暫定的な間本拠地とした地域です。室町時代に大崎氏の配下の葛西氏の城がすでに存在していたようです。
平泉では、早めの昼食後、『中尊寺』を参拝・見学しました。私にとっては、1977年の夏以来の再訪でした。
『金色堂』は、金箔のきらびやかさだけではなく、建物全体の均衡、堂内の仏像、須弥壇や柱の螺鈿の装飾工芸など、全体的な造形美を再認識しました。
仏教の宗派では、天台宗で、最澄の弟子円仁が850年に創建し、奥州藤原氏や江戸時代の伊達氏が、様々な寄進をした、といった歴史的経過をたどっています。鎌倉幕府が、金色堂を覆う建物を形成し、かつて滅ぼした藤原氏の文化保存を志向したことは、私にとっては新たな発見でした。
博物館と宝物館を兼ねた『讃衡蔵』の中の展示は、時間不足でしたので、足早に通り抜けました。次回は、ゆっくりと眺めたいと考えました。
午後1時半からバスに乗り、一路入間市まで帰りました。入間市到着は午後9時ごろで、二日間の延べ走行距離は約1,200キロメートルと、かなりの長旅となりました。
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