市議会の会派『保守系クラブ』の一人として、1泊2日の視察に参加し、本日が1日目でした。午前7時に入間市役所を出発し、高速道路を圏央道、関越、北関東、東北自動車道を経て白石ICで降りました。その先は国道4号で、ほぼ阿武隈川沿いに進み、宮城県岩沼市に昼に到着しました。市内の竹駒神社参道の大手町といった旧市街地の『福住』で単価1,575円のランチを食べました。
午後1時半から4時過ぎにかけて、岩沼市を視察しました。視察事項は、東日本大震災による、①被災状況と②復興計画についてでした。現地位視察の前に、岩沼市役所の議会棟内の会議室で3時頃まで、説明を受けました。
本庁舎は、耐震補強済みでしたが、議会棟は補強が未実施の状態で、3月11日に震度6弱の揺れを受けて、かなり破損し、復旧工事が済んではいませんでした。
防災担当の総務部防災課の係長から、東日本大震災による、主として津波被害の状況について、続いて、震災復興担当の総務部震災復興推進室長補佐から、復興計画の概要について、説明を受け、質疑・応答の時間もたっぷり設けました。
その後3時過ぎに、入間市から移動してきた貸切の小型バスに、市職員の方々2名に添乗していただき、仮設住宅と津波被災地を巡り、現地視察を行いました。
仮設住宅は、複数個所ありましたが、市民会館付近の、臨時駐車場が仮設住宅用地に活用されている例を視察しました。
津波被害は、南北の高速道路『仙台東部道路』から太平洋側で拡がっていました。海岸線から数百メートル内陸を南北に結ぶ江戸古来の運河『貞山堀』を、津波は乗り越えており、海側の住宅はほぼ壊滅状態でした。特に新築の住宅は土台基礎で土地から分離して流されたり、大破して既に撤去されているらしく思われました。
農家の家屋は、海からは離れて建っている場合が多く、大破しても建物は原型を止めています。また、防風林の西側の家屋が、被害が比較的少なかったと聞き、実際に目視することができました。
さらに、鉄筋コンクリートの公共施設などでは、1階部分が大破しても、建物だけは原型を止めていました。木造や軽量鉄骨では、全て無くなり、重量鉄骨では骨組みだけが残り、鉄筋コンクリートでは、内部は流れても、建物の躯体は残るようです。
広域的な公共現水道の終末処分場の、『県南浄化センター』は、津波で機能が麻痺したものの、応急的な修理で、「仮設運転」となっていました。