「元気を貰う」といった言い方・言い回しが、最近流行っています。特に『3.11』以来、強い思い入れを以って、使われているようです。
常日頃の議員活動では、パフォーマンスを出来るだけ避け、地道な努力を持って諒とし、「意欲よりも能力を」、と内心唱え続ける私宮岡治郎でさえも、今夕の2名の若者達からは、正に「元気を貰った」の感がありました。
会場は、早稲田大学の大隈講堂、時は午後5時半前後であったでしょうか。校友会の代議員会の【報告事項】の中で、「校友会給付奨学生による近況報告および御礼」の挨拶として、壇上に立つ、女子と男子のそれぞれの現役学生の挨拶を聴いた時に、私なりの率直な感想です。
「言葉の力」に魅了されました。もちろん、TPOを弁えての、一定の儀礼的な指向はあるでしょう。が、しかし、自らの率直な意思を、自らの実体験に基づいて、自ら起案し、おそらく声を出して練習した上で、草案を何度も推敲した上での、決定版原稿の朗読でしょう。
それを、1,500人程の高齢者を主体とする早大OBの集まる会場で、堂々と報告し、御礼を表明しました。
その際私は、若者の無意識に有する言葉の弾みは、老成した者の朗読を遥かに超えた厚みが有ることに気付きました。私は思わず、「イャ~マイッタ~」となってしまいました。56歳にして始めての智見(知見)です。
単に声が大きいとか、声が澄んでいるとか、それだけでは、これ程の「元気を貰う」ことでは無かったでしょう。老熟や枯れた風合いなどには遠く及ばない、この「厚み」から発する重みが、大きく作用するのです。
コメント