巨大地震といった、「純然たる天災」への対処への、政治の無為無策を指摘する論調が喧しい、今日この頃です。
勿論、この無慈悲な災厄への備えは、怠ってはなりません。そこで、古来の日本人の知恵を再認識するのが、まず肝要かと考えます。このようないわば素朴な言説を弄せざるを得ないのには、訳があります。
天災の災厄を、政治は果たして、低減、縮減、縮小しているでしょうか。
夏目漱石門下の科学者、寺田寅彦の金言は、大きな地震災害に見舞われた現在の日本では、再認識されています。が、その再認識は、偏った、限定的なものではないか、との疑問を私は抱いています。
防災を最優先である、と指摘するのは最もな意見として、もてはやされています。が、それだけではなく、そもそも、文明の在り方が、人類に災害を増幅させている、との指摘は、除外(オミット)されているようです。
伝統的な家屋形態である平屋に居住している限りは、地震の被害はさほ甚大とはならないでしょう。が、2階建、3階建と階数を重ねれば重ねる程、それだけ累進的に、建物倒壊や大破などの被害による人的物的被害は増大するでしょう。
かような、誰でも感得出来そうな、素朴で基本的・根本的認識は、政治の世界では「諸般の事情で」、意図的に排除されることがしばしばです。一度そうなると、再び俎上に乗ることも無いようです。
同様な事例として、リニアモーターカーの推進が挙げられます。突発的な巨大地震発生の際に、避難が絶望的に困難な程地中深い経路を辿り、しかも、減速や停車までの時間や走行距離が圧倒的に長い超高速で走る乗り物です。
その危険性を考えるだけでも、これを推進する「政治」は、いずれは、大きな人災を招く蓋然性は高いといえるでしょう。
原発が最も巨大な災厄をもたらした現在でさえも、手を替え品を替えて、政治が引き起こすであろう「人災」の影は、尽きることが無いようです。
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