経済法則について、経済活動を自由放任状態に放置しても、「(神の)見えざる手」によって、社会経済全体の調和は、市場の調整機能のよって図られるものであり、自由放任こそが望ましい、といったアダム・スミスの学説がありました《国富論》。経済政策の必要性に消極的な考え方でしょう。
同様に、人間が死後に天国に行けるか否かは、あらかじめ定められているといった、キリスト教の新教の「予定説」がありました。
今晩、私がかかわったある催しで、442人の定数の会場で、ほぼ442人の入場者がありました。前列方面に多少の空き席がありましたが、最後列の後ろの立見がほぼ1列つながったからです。定数ピッタリの入場者数であり、消防条例上もなんらお咎めも生じないでしょう。
当初予定されていた講師のキャンセルによって、変わりの講師を頼んで、残り少ない期間に再度宣伝したのが功を奏したようです。予定調和も予定説も、同時に出現したようです。
私の行動に置き換えれば、8月最終土日の25日、26日で2,000枚程戸別投げ込みをしたチラシが無意味どころか有害となり、それを打ち消すと同時に新たな宣伝を、それも短期間に実施する必要が生じました。そのために、2,000枚を上回る枚数のチラシを再度戸別に投げ込んでいます。
炎天下や星空のもと、何行苦行がわが身を苛むといった過酷さでした。が、「受難」を乗り越えることにより、神の御意向を悟る事になったようです。わが人生で、二度とないような貴重な経験をしました。
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