近年使われなくなって来た言い回しに、『教養が邪魔をする』があります。2、30年ほど前には、テレビのコメディー番組などでも、頻繁に使われたと記憶しています。
かなり気取った表現として出現し、当時まだ死語ではなかった、「ざーます言葉」と一括して、登場人物、それも女性が使ったように記憶しています。何らかの社会的な義務を果たさなかった場合の言い分けなどでも、「教養」を錦の御旗として、用いられた嫌いもあったでしょう。
しかし、元来の意味としては、「教養」の尊さを表す、言い回しであったか、と想像します。たとえどのような緊急な場合であっても、姿はやつしても、一定の教養が身に付いた、君子、紳士、淑女で在るならば、非道や不正に手を染める事は決してない。そのような行動規範からの逸脱の抑制装置として「教養」の存在意義がある、といった含意と愚考します。
では、「邪魔」をすべき「教養」の捨て去られたのが、現代であるとすると、現代とはどのような時代でしょうか。それは、「百鬼夜行」の世と言わざるを得なくなって来ます。
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