私宮岡治郎は、専業あるいは専従の市議会議員ではありません。そこが、多くの専業あるいは専従の同僚市議会議員に後れを取る、基本的な原因かと考えています。
どうも、他に先んじて一歩踏み込んだ調査や洞察や、一定の持論の形成や独断的な主張が少なく、詰めが甘いようです。
総合的な諸課題の中を概ね見極めて、事後的に省察する、といったタイプです。
本業が不動産業のためか、「住み易さ」といった視点の分析では人後に落ちない、といった自負はあります。よって、住居とか住宅、住環境といった角度から、市政のあるべき姿を考察してきた傾向があります。
上下水道の安定的な供給、維持管理、道路網の整備や防災・防犯対策も、ほぼ住居内での安全を基本に考えてきました。
ところが「暮らし易さ」となると、遥かに多くの要素があり、相互作用も複雑であり、私にとっては煩雑なものでした。それは屋内も屋外も垣根の無い、総ての暮らしがかかわるからです。
また、健康診断と保健施設、先生や生徒と学校教育、文化団体と生涯学習施設、障がい者団体と福祉施設、スポーツ団体とスポーツ施設など、入れ物を先に考える不動産業とくに不動産管理業とは、発想の順位が逆となるのです。
私に取って、これも一つの宿命と割り切るしかないのか、と考え始めました。市議会議員は20数名いるのです。すべての議員がすべてを把握するのではなくて、「職能別」に、ある程度狭く深く考える市議会議員も必要である、とも考えています。
コメント