国の独立と平和、国際競争力を考えれば、軍備の増強や高度化、エネルギー問題も効率性を最首とすべきでしょう。 が、日本は遠くない過去に、かなりの歴史的重大事を自ら招き、「独立」や「国際競争」よりも優先するものがあることを、痛感しています。
それは、「独立」や「国際競争」という言葉を巧みに悪用する弁舌の徒によって、国民が欺かれた、といった国民各位の記憶に受け継がれているでしょう。
最も純朴な階層が先の大戦で摩耗するがごとく、既に死滅しおり、うまく難を逃れた階層が、戦後の日本の担い手であるのです。
悲しいことですが、戦前に比べて、倫理的に「劣位」に止まる戦後の日本人たちによって、究極的に平和は守られるっであろう、といった悲しい楽観論に立脚して、私は国の行く末を眺めているのです。
「核」を前提とするエネルギー問題についても、深山幽谷を貫く新交通手段、自然の摂理を更に歪める巨大ダム建設についても、道理で対応すれば、国民の納得のいく状況に落ち着くものと、この危機的な状況下で、私は存外楽観しています。
たとえ「悪を欲する」勢力があっても、総ては「善を成す」あるいは「善に帰する」ものと確信しています。