信友会旅行の2日目でした。 山形市の『立石寺』(山寺)と、上山市の『斎藤茂吉記念館』を見物しました。
立石寺は、最澄の弟子の円仁(慈覚大師 日本史教科書的には山門派)が、現在の山形市の東のJR仙山線沿いの谷間の北側の岩盤の急傾斜地に建立した、天台宗の寺です。 私自身、かなり前から一度は登ってみたいという願望があり、この旅叶いました。
芭蕉の俳句「閑かさや 巌(岩)にしみいる 蝉の声」とはさすがに現場を的確に表現したものと感心しました。 確かに閑寂で岩場はゴツゴツした花こう岩で、巌(いわお)をなしていました。
麓近くの「根本中堂」側から順路に従って、千段余りの、直進や左右に振った石段を上りました。 最終到達地の「奥之院」は、意外と窪んだ平面に位置していました。観光写真等で見るような、切り立った岩場の上に写っているのは、「五大堂」に相当する部分でした。
斉藤茂吉記念館は、1968年に開館し、1989年に増築したもので、茂吉の短歌を中心に、人生径路や遺品・記録、家族・交友関係者を、長男の斉藤茂太氏や次男の北杜夫氏(斉藤宗吉)の記録や生前のインタビュー映像を交えて、多元的に展示していました。
特に、北杜夫が斉藤家三代の歴史をモデルとした長編小説『楡家の人々』は、音声の朗読付きで、楡紀一郎(斉藤紀一 茂吉の義父)の俗物的な人と成りや、ユーモラスな診断場面の語り口が聞こえて来ました。
精神医学者でもあった茂吉ですが、意外と出羽三山や蔵王山などへの山岳信仰が厚く、合理的でない面が多分にあります。 山形の田舎で貧しい農家の三男に生まれ、山野に育った子供時代からの生活感覚と、東京の精神病院院長一家の養子・婿としての実生活との、あまりもの格差を体験し、短歌に吐露しなければ埋め合わせ出来ない、精神的な葛藤や様々な矛盾があったのではないか、と思いました。
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