おおよそ人類の戦争の歴史、とりわけ破壊力の格段の「進歩」を遂げた近代の戦争の歴史について、一定水準の教科書的な知識の堆積からは抜け落ちた、自分自身の学習の盲点を意識しつつ、検討・検証してみました。
本日の結論としては、『戦争は悪である』、それは戦争の終結した後にも、社会的・文化的・民族的そして国家的・政治的に、大きな後遺症というの猛威を振るい続けるものである、といった当たり前の事柄に帰結しました。
近代の戦争は、古代から中世にかけての「征服」「遠征」「征伐」ではなく、近世の一時代正当化された「植民地争奪競争」でもありません。
その開始(開戦)のきっかけは、軍事的に優位にある国の側が、謀略によって火を点けます。 その上で、(罪の重い事にですが、反射的な対応として)仮想敵国に「仕掛けられた」といった虚偽の大義名分で誤魔化します。
その虚偽に基づく「防衛戦争」の名の下に、当然発生する報復攻撃による損害を喧伝して「全面攻撃」へと展開します。 更には、「光栄ある勝利」への道のりを邁進し、中途で苦境に立てば立ったなりに、英雄譚や美談の物語を作り出し、効率よく敵の「非道」な行為をでっち上げる位は朝飯前の所業です。
ところが、唯一勝敗の行方が逆の例ありました。 「ベトナム戦争」でした。
私の私的な人生径路に時系列的に合わせれば、8歳で始まり19歳で終了した事になるでしょうか。 この人生の原初的な疑似戦争体験が、私の『近代の戦争観』の基調ともなり。世界観についての価値判断を形成しているようです。
あの戦争は、アメリカとソ連・中国との代理戦争といった主軸とともに、反植民地主義の戦いであった側面も明らかに存在します。 それに、日本が勝てなかったアメリカにべトナムが勝った、といった歴史的に大きな節目をなしているからでしょうか。
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