先行き不透明な時代へ、舞台(ステージ)がまた次幕へと進みました。 勿論、ステージが更に一段進行する前に、適切な対応をするに越したことはありません。
一定の制約されつつあろ所与の中で、この先いかなる事態が発生するのか、想定内・想定外を問わず、政治の末席に連なる私宮岡治郎にも、責任の一端はあるでしょう。
とはいっても、どうなるか分からない憶測の範囲まで、あれこれ妄想することなく、現時点で自分に課せられた使命を悟り、熟慮の上、鋭意実行するのみです。
勿論、一市議会議員としての本来の職責、更に市の監査委員として市の内部統制の確認作業を果たした上での話です。
おそらく、従来私が一定の成果を上げてきた、①友好都市をはじめとする、国際交流親善の推進、②それを妨げる勢力の排除、の二つを基軸とした活動となるでしょう。
日本史上最大の国難であった鎌倉時代の元寇。 それに立ち向かった執権北条時宗に対して、南宋出身の禅僧無学祖元は『莫妄想』(妄想する莫れ)と忠告しています。
モンゴルを主体とする侵略への対峙に、モンゴルに侵略された南宋の禅僧から、哲学的な教示を受ける、といった構図も、今後の日本の命運を憂慮する時、存外有効かも知れないと考えます。
妄想を無くして、いわばスペインの長靴を履いたように、考えの炎の揺らめきを静止した状態が理想です。 大脳生理学的にも、合理性があるそうですが、私の限界値まで、脳を活性化して当たらねばならない、といった緊張感や危機感があります。