おおよそ近代日本の数ある碩学の中でも、青天井ともいうべき際限もなく高度な視座からの博識と、底知れぬ程深く洞察する叡智、そして柔軟な諧謔を兼ね備えた哲学者、和辻哲郎氏の代表的なな著作『古寺巡礼』の一部が、本日の朝日新聞の付録の文化欄「匠の美」で、引用されていました。
私は、インターネットのサイト『青空文庫』で、その引用部分を前後の文章の脈絡を添えて印刷し、熟読を試みました。
『古寺巡礼』は、現在の奈良盆地地域に古代の飛鳥時代以来創建された諸寺を巡る、あるいは実質的に「巡礼」する内容の、いわば紀行文的な随筆です。 それは最高度な、あるいは最上質な見学案内書に転用も可なるものですが、観光案内書(ガイドブック)の範疇は大きく越えています。 現代の、あるいは古代から現代へと連綿と続く日本あるいは日本人に対する、警句も含んでいるように思われたからです。
奈良の東大寺といえば、大仏や大仏殿が有名世界的に有名です。 これに南大門や仁王像を加え、更に三月堂に言及するならば、かなりの通人となるでしょう。
しかし、『奈良の大仏さん』は、歴史上二度焼打といった手段で遭難した仏像です。 一回目は、平安時代末期に平重衡の軍勢により、二回目は戦国時代末期に松永弾正久秀の軍勢によってですので、原初的形態からは、おそらくかなり劣化した仏像となるのではないか、との示唆も受けました。
一回目は、伊勢平氏政権と東大寺との確執によって、二回目は、松永久秀といった梟雄的特異な性格が反映している、と原因が特定されて、歴史記述の一環として、記憶に整理されている事柄です。
ところが、攻撃された側は、全く無防備であったわけではありません。 それどころか、むしろ『僧兵』といった十分な武装集団を組織し、宗教的な権威を背景として加味すれば、十二分な威力組織(暴力装置)を「常備軍」としていたのです。
この宗教施設が、本来の機能を十分に果たしていた時代、本来の機能を逸脱しない時代には、たとえ無武装であっても、一定の警備組織で十分に事足りていた筈です。 宗教的な功徳、教義の説得性、そして危機的な状況に在っては、争いを避けて、無益な殺生や、物的な損害を回避する叡智を最首とすべきでした。
和辻氏は1919年当時の時点で、この本質的な問題点に、気付いていたのです。 これを間接話法的に「日本人は堕落し易い」と表現しています。 現代のわれわれ日本人に対する貴重な警句となっています。
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