日本史と世界史を大別して、日本の高校の歴史教育は成り立っています。 日本史と世界史の教科書は、それぞれ独立したテキストとなっています。 その訳は、我が国が地理的に島国であるのは勿論、更に、海峡とは言えない程の海洋と潮流を以って他の国から隔絶しているからでしょう。
1953年のアメリカの黒船来航以降はともかく、時系列的に大部分の日本の歴史は、日本国内で自己完結し、外交や対外関係の事項が、国の統治の根幹を揺るがすことは無かったでしょうか。
日本の歴史上、政争や内戦に敗れて、国外の親戚や知己を頼り、その外国の権威や軍備を用いて内地に上陸し、政権を獲得する、といった事例は皆無でしょう。 後醍醐天皇の隠岐島配流も、西郷隆盛の奄美大島・沖永良部島流罪も、行方は流刑地であって国内といった範疇に止まります。
日本が応仁・文明の乱(1467~1477)で乱れていた頃と同時代に、イングランドではバラ戦争(1455~85)がありました。 同じ島国の日本と英国で決定的に異なるのが、内戦で劣勢となった側の行動です。
日本では、内戦で劣勢となれば、滅びるか、優勢な側の内訌者を離反させて味方とするか位しか、残された手段は有りません。
ところが、イギリスでは、フランス等大陸の王室や有力貴族を頼って海を渡り再起を期します。 事実、バラ戦争の最終的な勝利者でチュダー朝の祖ヘンリー7世のように、そういった手段を用いて帰国後勝利を収めた例もあります。
こうなると、国内史と世界史の棲み分けは、不明瞭とならざるを得ないでしょう。 もっとも、日本史でさえも歴史を深く探究すれば、総ての事象が世界と無縁ではないでしょう。 そこに補助的に、東洋史あるいは東アジア史の存在意義があるのでしょう。
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