議会政治の窮極にあるものとは、「広く会議を興し、万機公論に決すべし」から、自然に演繹されるべき冥利でしょう。
なんとなれば、真理や妥当性の追求の為には、多くの叡智を結集した方が、より良い成果が得られる確度が高い、との希望的な観測から導入されていると考えられます。
勿論、政策判断や執行の検証に於いて、それぞれの立場の意見を聴いて協議する事で、執政に対する不満を、出来るだけ提示することによる、カタルシスといった副次的で裏の作用の存在も理解した上です。
ところが、党派性が全面に出た議会では、真理の探究は蚊帳の外になります。 只々、いかにして自己の所属する党派の利益gは政策に最大限に反映されるか、が最首の目的となります。 これは、党派性政治の本来的な限界でしょう。
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