年末年始の間の夜に、事務所兼書斎で、近代日本の代表的文化人の著作や講演録を思いつくままに、青空文庫で読みました。
中公新書の『日本の名著』では、それぞれの人生の最盛期の著書は概ね30歳台の力作が多く、内容の多少の稚拙さや、明らかな錯誤があっても、発表当時の社会的影響力なども考慮して選ばれているようです。
ところが、晩年の講演録や著作では、かなり穏やかな言い回しや叙述が見受けられます。 同じ人物であるのが不思議な位の変わりようですが、どうもこの方が、今の私には読み易く、取っ付き易く、先に読んだ方が好ましい様ですらあります。
国粋主義者とされる、竹越与三郎氏の場合。 代表的著作『二千五百年史』を著した前年、日清戦争講和成立前後の1895年頃に雑誌『國民之友』に投稿した二つの論文は、かなり過激な書き振りで、当人は強調構文にした上で、それに止まれず、強調したい箇所は、太文字で更に強調するといった有様です。
ところが、1938年の講演では、日中戦争最中であるので、神掛がかっていて良さそうなものですが、決してそうにはなりません。 かなり理性的かつ合理的で、日本と諸外国とを、並列に対等に扱っています。 肩の力が、取れています。
京都アカデミズムの左翼側のオルガナイザーと目される、中井正一氏の場合。 30歳頃の1931年の著作『芸術の人間学的考察』では、集団と個とを価値判断で優劣をつけて、前者の優位性を哲学的に分析的に立証しています。
1952年の論文『調査機関』では、穏やかな協調性を前提にしていて、国立国会図書館の副館長という立場もあってか、あらゆる立場の人達にも一応は納得出来る幅の広さと明確さがあります。 最もその境地に至る、百戦練磨のしたたかさも伺えますが。