日本の歴史上、執政にある者の、政治判断に於いて、大義名分が最も重んじられたのは、おそらく江戸時代であったと想像されます。
しかし、逆説的に判断すれば、おそらくその時代は、私的な利益や個人的な都合を、真しやかに公益にこじつけるといった、「詭弁の技術」や「欺瞞の修辞」も同時に発達した時代でもあったろう事が推し量られます。
更に、その詭弁や欺瞞が露呈した場合の処罰や、制度的あるいは社会的な制裁も厳しかったであったと考えれられます。 ところが、この御沙汰も、時の上級権力者の独断で処断されたものとなりえます。
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