1999年に、三重県伊勢市の『尾崎行雄記念館』を、一人で訪れたことがあります。
館の関係者には、尾崎氏生前の支援者であった古老もおり、直截的なお話をく伺うといった、大変貴重な機会を得ました。
その中で、「尾崎行雄は都市部では無くて、度会郡部で強かった」、と聞き、意外な印象をもちました。 日本の憲政を前へ推し進める努力を生涯にわたって続けた尾崎氏が、伊勢市(当時の宇治山田町)の市街地で、支持されないわけが無い、という単純な判断に基づく意外性でした。
尾崎氏は、現在の東京都の前身の一部、「東京府」の府議会議員や、「東京市」の市長を務めています。
帝都東京、首都東京は、日本の最も先端的な地区であり、その選挙区はいわば「名門選挙区」であって、優れた賢い選挙民によって、日本で最も好ましい政治家が選出される、と考えて来ました。
ところが、余りに政治的な風圧や、潤沢な財政力、地区の経済力を基盤とする政治とは、存外劣悪なものなのです。
本日東京都知事を辞職したM氏の個人的な資質を云々する前に、そのような政治家を選出した有権者、今度は手のひらを返したように引きずりおろす都議会議員たち、といった二重の愚かさが、東京都の政治に内在する限界なのです。