昨日6月8日(木)付けの、公明新聞のコラム「北斗七星」で、中国の思想家荀子の「流言は智者に止まる」に言及されていました。
自分は、この言葉を知りませんでした。 早く知っていたならば、自分の荀子理解も進んでいたかと思います。 あるいは、この歳になって言葉の意義が納得出来たのか、とも思います。
身近な事例を変顧みて、つくづく、なるほどと思えて来ます。
もっとも、「流言は仁者に止まる」とはならない所が、「性悪説」を唱えた荀子らしい所です。 が、「智」の存在価値や社会的意義を、、的確に示していると考えます。
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