今日は、明治時代の小学校教育について、高校の日本史Bの教科書で学習しました。
時代に変遷について一番分かり易い指標といえば就学率ですが、1907年明治40年)頃に、ほぼ100%に達します。
ところが、それまでに至る伸びは、一律ではなかったようです。 停滞どころか、低下した時期もありました。
制度が、フランス流に全国画一に示された時期に、進捗が停滞し、強制から自由放任となると、地域的には後退したりもします。
最終的には、1900年に「義務教育の授業料の廃止」が決め手となって、数年でほぼ100%にたっています。
この試行錯誤は、官僚制に弊害が如実に顕れています。 画一計画では、人口600人に一小学校になりますが道理に合いません。
一つ失敗すると、その過剰な反省から、真逆方針を繰出して、また教育現場を混乱させています。