とかく政治は歴史を勝手に歪めたり、都合よく一部を剽窃して、それが全てであるかの如く喧伝する事が、良くあるようです。
これを悪しき意味での「政治力」の一例といえます。
歴史は、あくまで資料は、遺物、長年の研究、科学r的根拠に基づいて、政治にとって都合が良かろうが、悪かろうが、謙虚に学ぶべきでしょう。
そもそも、政治で左右される歴史など、本来的な「正史」の価値が無いのです。 政治は、歴史の前で謙虚であらねばなりません。
また、歴史を謙虚に学ぶここのみ、それが憂鬱の方法として、妥当な政治の判断の材料ともなり得るものでしょう。
政治家個人や同僚の個人的な人生経験は、壮大な歴史から見れば、時間的にも空間的にも、微々たるものです。 政治家が個人的な経験や独自の経験則で判断する政治は、極めて不適当です。
ブスマルクの箴言に、「愚者は人生に学び、賢者は歴史に学ぶ」とあるそうです。 歴史の膨大な、法則や教訓は、人類の存続が危ぶまれる現代こそ、存続の為の限られた模索に光明をもたらすのではないかと私案しています。
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