半世紀程前までは、現在形あるいは過去形で使われたものの、現代では殆ど死語となり、その真意・極意までは全く理解される事の無い四字熟語に、「弊衣破帽」があります。
文字通り解釈すれば、「ぼろぼろの服に、破れた帽子」という意味になります。そのような身なりをした人を差す場合もあるようです。 現代では用いたとしても、否定的な意味でしか理解されません。
この「弊衣破帽」は、戦前の旧制高等学校の生徒の間では一定のモードとして「広まり」、且つ認知されておりました。それに憧れた旧制中学の生徒にも、ある程度ファッションとして「普及」したようです。
戦後も、ノスタルジック(郷愁的)な形で、あるいは外見的な継承として、応援部等の一部の男子大学生や高校生の間での、残滓の徴候もありました。
その真意は、学問を究め、真理を探究する者は、身なり等には関心を払わない、といった心意気でした。 また特権意識や選良意識の発露でもあったようです。
もっとも、その姿勢を殊更に強調する態度も、大人げないのですが。
「栄華の巷を、低く見て」と謳われた様に、庶民の、より良い身なりや服装をまといたい、といった願望・価値判断を、超越し超克する事に、価値からの自由(Wertfreiheit)の意義を見出すのです。
この形而下ではなく、形而上学的な価値観は、かつての武士道にも通ずる、側面があると考えます。
また、こういった心意気こそが、現代の政治家に欠けており、むしろ求められるのではないかとさえ考えます。
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