昼に太宰治の遺作『桜桃』く、午後に国木田独歩の後期の作品『富岡先生』を、それぞれ読みました。
『桜桃』は、筋立てもセリフも、乱雑な印象でした。この作品の直後に心中で今度こそは死ぬわけですが、それを予感させるに十分な印象です。
『富岡先生』は、富岡氏と富岡先生とで分離した二重人格の悲喜劇とりましました。 細川の心の動きが面白く、結果的に縁を取り持つ村長の人格円満ぶりが、手紙のやり取りから伺われます。 『牛肉と馬鈴薯』と同じく、劇作家的な盛り上げ方はみごとです。
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