私が小学生の頃ですから、1960年代の前半から中頃、テレビのホームドラマや青洲ドラマで、年輩の紳士が、子どもや若者の素行に憤慨して「親の顔が見たい!」と叫ぶ場面がありました。
大抵は子供や若者の側にもそれなりの事情があっての言行に対して、事情を知らないあるいは関知しない老人が発する場合が多く、理不尽な言葉に一つと考えていました。
なぜか不思議なことですが、この「親の顔が見たい!」は、自裁の人生では、幸い一度も言われた事が無く、一度も発したことが有りません。
しかし、なかなかどうして、含蓄のある日本語であり、死語となって惜しい文化であると考える様になって来ました。 私も、老境に入った紹子かも知れません。
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