今の入間市行政で、政治的な論争となるものが30程あると考えています。政治とは面白いもので、白黒の区別がはっきりしている事柄は、最初から論争の対象とはなりません。これが真理を求める哲学や宗教、解答のはっきりした初等・中等教育とは異なるところです。
要するに、政策的な当否・妥当性の明らかなものは、最初から「政争」の対象とはならないのですから、どちらの意見にも一応の道理のある事柄が、「論点」となります。先の市議会の一般質問では、議員が自分の意見としてではなくて、「・・・といった意見を多く聞く」とか「知り合いの市民から・・・といわれた」、などといった出典の不確かな発言が目立ちました。
そこで私宮岡治郎の立場はどうかと申しますと、根拠のあいまいな論争は、不毛の議論に終わる場合が多く、原則として深入りしません。議論の中で明らかな錯誤がある場合や、妥当性がないがしろにされた場合などに限って、発言することにしています。
財政難の時代、市議会が率先して範を示すといった理由で、このたび市議会議員定数の削減を、入間市議会は決定しました。議員の歳費だけではなく、その他の諸費を含めれば、おそらく年間数千万円の経費削減となるでしょう。
それ以上に、入間市議会を、根拠の確かな統計や、論拠の明瞭な法令や条例に基づいた、理性的な公論の場とすべく、私は市議会議員として努力を続けたいと考えています。出典の明らかな発言を議員各位が心掛けるだけでも、議会の公論を合目的的にし、内容の豊富で有意義な、創造性のある入間市議会とすることが出来るでしょう。
勿論、議会で自論の展開を、最初から怠るのは論外ですし、そのような側に組するものでもありません。発言時間の制限もこれ以上進めるべきではありません。市執行部の沈黙は、何がしかの深謀遠慮である場合がありますが、市議会議員の沈黙は、不勉強である場合がほとんどなのです。
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