昨日の『宮寺文化』と『狭山茶』との関連についての論及は、文化と経済の有機的な結合によて、文化から導き出された農業経済の実例となるでしょう。江戸時代後期は、日本全国の各藩で様々な産業が奨励されています。郷土入間市の元来『狭山』の地名にふさわしい地域で、幕府や藩や旗本などの支配層の権力的な指導ではなく、地域の素封家によって、始められたのが『狭山茶』です。
学芸と産業とは、元来結びつきがあります。科学技術によって新たな商品が開発されたり、改良が加えられる場合が代表例です。江戸後期の農芸科学の進展も、狭山茶の復興や品種改良、栽培手法に貢献している、と考えられます。
「狭山」に限らず、現在の埼玉県西部地域では、緑茶の生産は一度は途絶え、それが復興したことに意義があります。正に「緑茶のルネッサンス」であったと想像されます。「宮寺文化」の担い手による、茶道や書道、書画骨董についての教養も、江戸といった消費地への販路拡大に大いに貢献したと考えられます。
近頃は、世界的な規模での経済不況ですが、入間市の地域経済の活性化、少なくとも過度の沈滞化を防ぐために、市民文化は有効であるのではないか、と考えます。『入間市文化創造アトリエ』での、様々な実験的な取り組みも大切ししたいところです。
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