「寄せ(終盤戦)は俗手で」、といった言葉を思い出す一日でした。飯能市議会議員選挙を眺めての実感に基づきます。かつて私は、1976年の20歳当時、将棋に熱中しました。腕前(棋力)は、さほど上達しませんでした。しかし、物事の対処する場合の忍耐とか、心構えの奥義の一端は習得出来た、或いは教えられたのではないか、と考えています。
「下手の横好き」というもので、将棋の格言もたくさん覚えました。その中に「終盤は俗手で」が有りました。すなわち、将棋の中盤を経過して、勝敗が決した段階の「寄せ=優勢な勝負での終盤戦」では、あまり難しく考えると返って逆転されるので、「俗手」すなわち、「初心者が打ったり指したりするような、平凡でつまらない手」(広辞苑)、を用いるのが妥当で、無難である、といった意味のようです。
本日は、飯能の市議選も「最後のお願い」の日になりました。各陣営は、ほとんどがあまり奇を衒(てら)った、見せびらかした戦いをせずに、正攻法で、この一週間の選挙を締め括るようです。
私宮岡治郎も、先の入間市議会議員選挙で、4度目にして初めて分かった事は、選挙では「平凡」で「月並み」な運動が、最も有効である、といった単純な事実でした。
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