昨今の自然災害の人的物的被害状況を考察しても、人類にとって安全な住まいの領域とは、有る程度限定されていると思われます。国内の場合でも縄文時代や弥生時代の住居跡も、どこにでも有るという程散らばってはいないようです。人類は、「自然の脅威」を可能な限り避けて、住居を構えたと思われます。
個別の住宅の耐久性や快適性は向上しても、その立地条件によって自然災害の危険度はほぼ決定してしまうようです。どんなに耐震性の高い住居でも、活断層の真上に位置すれば、地震の際に大破を免れることは、困難でしょう。
人口減少時代が到来しました。宅地に関して、殊更社会的な時由による等級の格差があった時代は終わろうとしているでしょう。商業地との適当な距離とか、最寄の鉄道駅の利便性、文化や娯楽施設との配置関係、などなどには余りこだわらない時代となってきているのではないでしょうか。
人々は、本能的に災害の発生の可能性の少ない場所に居を構える、あるいはそのような住居を買い求めるのではないかと愚考します。
20世紀後半に造成された、新興住宅地は、元来人々の居住しないまとまった安価な土地を大量に、組織的に必要とするため、丘陵地を切り開き、湖沼を埋め立て、農地の転用を基礎にして成立している場合が多いと思われます。
しかし、その集合的な住宅地を一家が何代にもわたって居住する、といった実例は少ないと思われます。何代にもわたる事業を土台とするならばまだしも、給与所得者では、同様の職場に「世襲雇用」される蓋然性が低く、同じ住居であっても、所有者が全く変わるのが通例となるでしょう。たとえ、累代にわたる家があっても、周囲の人々が一代か二代で入れ替わる住宅地では、地域の安定は図りにくいのではないかとさえ思われるからです。
人口が減少すれば、かつて人工的、計画的、組織的に形成された住宅地は虫食い常態となって消滅し、元来自然発生的にまとまった、従来の住宅、商業、軽工業の混在地に人々は回帰するのではないかと思われます。
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