年金、医療費、子育て支援、などは金額で明示でき、政治的な争点としては、国民に分かりやすいでしょう。しかしその反面、どのような制度や給付額にするのが妥当であるのか、「科学」的根拠が曖昧な分野では、科学の果たす役割、科学の必要性は少ないのかと思われます。
当然、年金制度には確立した統計など、多くの数学的な数式が計算根拠となります。医療費についても、個別の医療行為の実費や医療従事者への正当な報酬が医学的な見地から検討されるでしょう。子育て支援についても、一人のこどもを大人としてひとり立ちさせるまでに掛かる費用が、一定の科学的な検証の対象となるでしょう。
しかし、ここで私宮岡治郎が取り上げたいのは、「温室効果ガス削減25%」のような純粋な科学的根拠を主とし、産業界や個別の様々な利害を超えた問題です。地球温暖化によって、人類の存在が脅かされているとしたならば、二酸化炭等の排出削減は最優先課題でなければなりません。
産業の空洞化も、国際競争力も、従属的な矛盾へと、優先度の地位を下げなくてはならないからです。主要な矛盾は、あくまで人類の存続であるはずです。数々の自然現象の中で、地球温暖化は事実である、と考えられます。また、温暖化の真偽を論ずるのも差し支えありません。
ところが、温室効果ガス排出削減を論ずる場合、その科学的根拠に異議を提示するのならばともかく、なぜ産業問題が反定立となり得るのか、といった疑問です。科学的合理性を欠く議論は、人類に惨禍をもたらして来たのは、歴史的な事実でしょう。
かつて、大規模な公害問題が発生し、その公表自体が政争の具に置き換えられたために、対応が大幅に遅れた時代がありました。科学的なデータを持ちながら、それを隠してきたための弊害は、科学文明が高度に進んだ21世紀の現代、少なくなってきたとはいえ、客観的な事実が隠蔽された場合の災厄は、かつてとは比較にならないほど、膨大なものとなるでしょう。
勿論、科学的根拠が不確かな情報、少なくとも反証が十分に出来ないことを盾にとって、無責任な情報を世上流布する輩は、今後も絶えることは無いでしょう。また、政治とは黒白の判定が難しい隙間に暗躍する性質があることも、私は、自分なりの政治経験で熟知しています。
問題なのは、科学的に定説となっている内容について、政治が明確な科学的反証なしに、反対論を持ち上げる状況です。
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