評論家とは、過ぎ去った過去や既に結果の出た事柄について、レポーターとして情報を羅列し、様々な後知恵的論評を加える者達である、と私は考えています。真の歴史家は、事実から紛らわしい夾雑物を取り去って、雑音を排除し、本質的な部分を整理して系統立てて我々に提供し、以って後世の教訓、「万代の木鐸」を示す者でしょう。
所謂エコノミストが、読者の、あるいは聴視者の私的な短期的利益追求の教示をするに止まるのに対して、経済学者が、広く経世済民の学として、民生の安定と福利を追求するといった違いで、それ位の格差はあるでしょう。
未来の、少なくとも将来の危機的な状態を予め察知して、世に警鐘を鳴らす警世家は、評論家の一部でもあり、それが世論形成に影響するとすれば、あるいは世論形成がごく一部の有識者に止まったとしても、後世その警鐘の正しさが明らかとなれば、一定の意味で「オピニオン・リーダー」の尊称を持って遇する事も出来るでしょう。
日頃、新聞ジャーナリズムや硬派の月刊誌などで、日本の政治体制がこのままで良いのか、あるいはこのままでは良くないのか、について論じて来た警世家について、正念場となる政治状況が生まれた、と考えています。
それは、外交や国防から、公共事業、保健、医療、年金、子育て、家族法など様々な分野について、急進的速度と言える、時間の限られた枠内で、警世家の論旨の当否が実証されるからです。
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