古代ローマの民主制の時代、個別の有権者個別に訪問し、「より多く膝を屈した」側が政権に近づくといった箴言があったようです。この基本原理は、現代の日本にも当てはまり、おおよそ人類が存続する限り、消滅することは無いでしょう。それは、主権者本位に政治が進められるための、一つの手続きであると、肯定的に解釈することも可能でしょう。
ところが、自分自身を含めた上でも、政治そのものや同僚政治家を、一般有権者の前で貶める行為が発生するのは、嘆かわしい事です。主権者である住民にとっても、弊害を生むであろうことは確かでしょう。そのような事態の遭遇し先日痛感しました。
政治あるは政治家そのものを、「政治ショー」とか「政治屋」と決め付ける、市民があるのは事実です。政治家に対して、「~さん」といった必最小限の礼儀さえも弁えないような特殊な人たちです。
そのような人には、政治家は政治家として節度弁えた対応が必要であると考えます。それにも係わらず、当該の政治家が単に同僚政治家との比較論での差別化や「点数稼ぎ」ために、質問者の期待するような答弁を繰り返したとします。
これでは、「有る事、無い事」のみならず、「無い事、無い事」から、すなわち事実無根からさえも、政治の劣化をもたらす元凶となります。
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