比喩的に使用されるのが通例の四字熟語に、「我田引水」があります。自分にだけ都合よく物事や話を進めようとする者に対して、それを押し止めようとする者が、批判を込めて用いる言葉となる場合が多いようです。「我田」といっても、稲作そのものが、現在の日本人の大多数にとって無縁なので、あまり実感は伴なわないでしょう。
そうであっても、全体や総体からの観点や見地からではなく、あくまで私的利益の価値基準の上での挙措であるならば、利己的であるとの批判は免れないところです。
しかし、「我田引水」を虚心に字面を追って眺めれば、違った見方も出来、本来の意味も解明されるのではないかと考えました。かつては、稲作を営む人々は、日本で大多数を占めていました。水田の灌漑を目的に、水源から水を引こうとする行為は、ごく自然で素朴な合目的的行為です。
したがって、「誰もがそうするであろう」、といっ共通認識が存在した筈であり、各自の言い分を容認する事を前提に、「人は元来そうしたもの」といった、達観にさえ至る、奥深さも連想されます。
なぜならば、水田にとって水とは必須の資源であり、水田から生産される米は、広く我々日本人の食生活の基盤だからです。嗜好品や贅沢品を独り占めするのとは、根本的に差異があります。
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