人類は元来、総ての人工的な工作物をその使用価値が消滅するぎりぎりまで、活用し尽して来たでしょう。たとえば木の板にしても、当初の用途とは別に多少の加工をしながら、様々に再利用してきました。木材から板を作り出す手間が、現代の製材技術からは創造も出来ない程の、時間と労力と技能を要する、といった状況からも容易に察しがつきます。
21世紀の現代、自然環境への負荷を低減するために、抑制するために、人類は身の回りの生活用品を使い捨てする事に、徐々に抵抗感を抱き始めています。使い捨てよりも、次の利用者を探し出してでも、再利用を図ろうとする傾向は、単なる風潮に止まらず、構造的な人類存続の本能に結びついているとさえ思えます。
昨今の経済不況による可処分所得の減少、粗大ごみを始めとする廃棄物の回収処理の有料化、特に電気製品の処分の有料化が、この『再利用』の思想の普及に貢献しているともいえましょう。
単なる、私的な打算や利害を超えた、社会全体、人類あるいは地球規模での環境維持の挙措として、このような『再利用』は、具体的な行動を拡大しつつあるようです。
私自身は、学生マンションといった『ワンルームマンション』を賃貸する仕事を生業としています。単身者の生活の形態という甚だしく『省エネ』に反した業態を展開してきた、といった罪悪感もあります。
単身者の生活は、エネルギー効率の悪いものです。部屋の照明も、冷暖房も、風呂の給湯も、台所の調理も、すべて単身者のために費消されます。複数者の居住形態である家族や寮に比べて、一人当たりのエネルギー消費は、どう少なく見積もっても数割は多くなるでしょう。
その上に、4年程度の学生生活の末に、大量の電気器具の廃棄が伴っていては、やり切れません。給湯器や冷暖房機、ガステーブルに限らず、入居者の要望に応じて、洗濯機や冷蔵庫を部屋に予め配置し、退出時に残置させ、次の入居者にも継続して使用してもらう方式に徐々に変更することを検討し始めめます。
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