福沢諭吉が、明治時代最大の啓蒙書『学問のすすめ』の中で、外国の箴言として紹介している言葉に、「愚昧の民の上に、苛き政治あり」、というのがあったと思います。
かつて、入間郡豊岡町の町長を1900年から1926年まで務め、その後公民教育の事業『豊岡大学』を主催した繁田武平氏は、「公民教育」の必要性を、長年町長を務めた経験則から、つくづくと感じていたようです。ご本人の日記などにも記述されています。
これを現代の政治不信の時代に当てはめますと、その真意が推し量られます。一般市民の豊かで健全な判断力が無くては、政治の質の向上は全く望めません。
政治家が、高度な判断力や見識を身に付けようとしても、そのような修養を、政治活動の中で学習するのは極めて困難なのが現状です。一方、大衆の群集心理への操作、意図的な詭弁、あるいは基本的な見識を欠く暴論、これらを臆面も無く実施する修行ならば、そのような機会はそこらじゅうに転がっているといってよいでしょう。その結果、後者の修行を積んだ政治化が、中核的な政治家となって来る、といった弊害が生まれるのです。
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