政治は、国民・市民と切り離して成立ししません。「政治の老化現象」の根本原因は、「団塊の世代」の職場からの引退です。この春、1949年度出生の世代が60歳定年を迎え、団塊の世代は「第一線」から退きました。時代的に極めて象徴的な出来事です。
年長の世代に対して論理的に反駁し、あるいは実力によって排除してきた「団塊の世代」という大きな集団が、近頃量的にはさほど変化は無くても、質的に変化したと考えられます。
現在の社会的な諸制度や諸現象は、「団塊の世代」にとっては自らの世代を中心に構築し、運営してきた、正に既成事実であるのです。好むと好まざるとに係わらず、この既成事実の仕組みの中の職場で働き、この既成事実の中の社会的で活動し、今では半ば引退した身です。
この、自ら関与した既成事実を、今後の時代の変化を前提としたとしても、改良を求めたり、更には批判したり否定したりすることは、精神面でも大脳生理学的にも厳しくなるでしょう。1940年代後半の出生以来、いつの時代でも起きてきた現象ですが、「団塊の世代」は規模が大きく、社会に特別な作用をもたらします。
国民全体の年齢構成が急速に「老化」したことも、政治の「老化」に結び付いているのではないかと考えられます。これは単に国民の平均年齢が伸びたといった量的な尺度ではなくて、高齢者がどこでも多いので若者の発言の場が狭隘になった、といった質的な変化が問題です。
若者は、社会的に「物言えば唇寒し」の寂寥の状況に置かれている、と私は考えます。若年層がインターネットで匿名の意見投書をする場合、この軋轢が原因で、諸々の政治現象に否定的な判断に偏る傾向が、投稿の分類統計から読み取れます。「年寄りに気に入られなければ」政治活動どころか、職業生活にも支障の生ずる時代の実態に対する内心の反発です。
若者の中で特殊な事情の無い限り、自ら政治活動に身を投じる例は、ごくごく僅かです。政治家といった範疇の世界に入るのは精神面で至難の技でしょう。すなわち、若ければ若いほど多くの代償を支払わなければらないからです。選挙という関門を通過する段階で、様々な借りやしがらみが付着するのが常態だからです。
「若手政治家」はいても、「若者の代表」と「老荘世代の共感」を具備した出自の「若者政治家」は少なく、むしろ2世議員の中に若干見られるようです。
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