最近、国政でも地方政治・地域政治でも、急激に「政治の老化現象」が進んでいる、と私宮岡治郎は感じています。
国政では、政界再編を掲げて「新党」を旗揚げする政治家の方々の多くが、外見でも内実でも「老人」です。仮に政治の「再編」は有っても、政治それ自体の「更新」や「改築」、ましてや「建直し」は望み薄、といったところでしょう。
埼玉県政でも世代間の対立は有るものの、かつて「若者」と私が思っていた政治家も、十年が経過すれば、地道な政策研究よりも外見的な見栄えやマスコミ受けを狙った行動が、いやでも鼻につきます。
市政や市議会について、入間市のみならず近隣市や全国の自治体の例を含めて論ずれば、押しなべて、市民向けの宣伝と、政策決定の動機付けの実態との乖離が大きくなって来ました。
建前と本音とは、両者が歩み寄った形態が、自然体であり、矛盾や軋轢も無く、効率的であるはずです。それに第一、健全でしょう。
ところが、いつの時代でも異論反論を排除しようとする嫌いのある「事なかれ主義」や、予め設定した筋書き通りに物事を押し進めたがる「予定調和主義」を有するのが組織というものの属性です。
国の官僚組織や自治体の執行部の職域の利益を目指した、合言葉に換言すれば「大人の指導」とやらに、国会や地方議会の中の「加齢の要素」が、「連動」・「共鳴」してしまう現象が始まっています。
私宮岡治郎もそうですが、議会ごとに膨大な資料を渡されても、十分に研究や検証が出来ないのが実態でしょう。出来得る限り事前に学習しても、議場では自分の至らなさに恥じ入る思いを常々思わざるを得ないのが、議員の真実でしょう。
ところが、あまり執行部を追求せず、日常お決まりの、定食メニューの、おざなりの質問に止まれば、執行部にとっては内心「愛(う)い奴じゃ」、「苦しゅう無い」、「近こう寄れ」となり、これに適切なすり替え言葉では、「高い見識を持ち、人格円満」となり、誉めそやされるようです。
「加齢現象」の最大の問題点は「純粋な思考力の低下」、「健全な批判力の減退」です。物事の本質について、素朴な疑問を持つ力が低下します。存外、政治的な駆け引きの力は、日常トレーニングを欠かさないせいか衰えません。官僚組織や執行部は、古今東西この議会の弱体化に付け入るものです。マスコミの報道を見るだけでも既に顕在化し、今後益々拡大の傾向が予想されます。存外若手の政治家が、官僚制の手練手管に惑わされるケースも生じることさえ、経験不足といった範疇の要因、当人の器の小ささが要因で、生じているようです。
いずれにしても、「議会政治の老化現象」には、「老成」とか「老熟」といった要素はほとんどありません、単に「劣化現象」と同一に捉えるべきでしょう。「若気の至り」とか「青二才」などといった、将来的には明るい展望を匂わす要素が無いものなのです。それが現実というものです。
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