小学生の頃に読んだ、少年少女向けの『世界名作文学全集』の中に『ガリバー旅行記』がありました。この作品、通常の童話的な要素とは違った要素がある、と私なりに感じながら読み進んだ記憶があります。主人公が架空の国で遭遇する様々な事柄の中で、漠然と「国とは」あるいは「国の名誉とは」一体何なのか、といった疑問を生じさせる箇所に出会ったからです。
それらが、「天命を知る」(出典論語)五十歳を過ぎた、現在の私の思想の根本基準ともなったいるようです。子供向けに相当に簡略化され、あるいは簡易化されて翻訳されても、「世界文学」の尊称に浴する作品とは、万人にとって一読の価値があるようです。
その価値を損なうことなく、40数年前の私に、「国家の威信とは何か」といった命題を提示していただいた、出版社の企画者・編集者そして翻訳者に感謝します。
第一は、「小人国」での件です。小人国が隣の小人国と戦争を始める原因が、ゆで卵を尖った方から剥くか、丸い方から剥くか、どちらが正しい正しくない、といった論争がきっかけであるからです。
現代の世界でも、多大の人的物的損害をもたらす戦争の原因が、少なくともその一部が、「国家の威信」であるものでしょう。戦争の災厄とは「並べて論ずる」には余りに小さな、ばかげたものに振り回されるのが、人類なのでしょうか。
第二は、「大人国」での件です、ガリバーが祖国イギリスの歴史を「愛国心」に基づいて、各王朝の治乱興亡を披瀝したにもかかわらず、聴いていた大人国の国王から、「それは、殺人や陰謀の繰り返しではないか」と指摘され、たしなめられる場面です。
主人公ガリバーは、「自分の説明不足により、先方の正しい理解が得られなかった」、「残念である」、といった場面です。
英国史に限らず、洋の東西を問わず、「王朝の歴史」とは、本質的に大人国が正論として述べる通り、そのようなものでしょう。