午後1時から、東京新宿区の早稲田大学8号館B107教室で、『2010年度 早稲田大学法学部 横川敏雄記念公開講座』、「憲法裁判の現場から考える」が開催され、一社会人として参加しました。
本日は連続講座の第1回で、憲法学者で東京大学名誉教授の奥平康弘氏の「総論: 憲法裁判の課題と可能性(憲法81条)」でした。参加者は学生を主体に延べ100人程でした。が、1時間半弱の講演の後、質疑に対する応答が長く、予定の2時30分終了が、2時50分頃まで延びました。
せっかくの講義ですので、私なりにノートを取りました。レジュメ(要約)が無く、講演者ご自身が冒頭に予告として述べられたように、話題があちこちに飛びましたし、聞き逃しや理解不足、誤解や恣意的な錯誤も多々ありましょうが、多少の余計な補足を加えて、以下に披露します。
司会は、早稲田大学教授の水島朝穂氏、挨拶は早稲田大学法学部長の上村達男氏でした。挨拶中の言葉「憲法には、人間の叫び声が詰まっている」は、奥平氏の講演内容の伏線となりました。水島氏の講師紹介では、奥平氏を、在野憲法研究者で「教祖」的な影響力のある人とのかなり「刺激的」な賛辞で、今回の主題の「憲法裁判」について、「勝った負けたではなく」、「負けて一歩前進もある」との持論を示しましたが、奥平氏を師と仰ぐ水島氏本人も、相当に精力的な活動をされています。
奥平氏の本論では、まず憲法81条「裁判所の違憲審査権」を、「歴史の現場にあるもの」として始まりました。氏が学生時代の1950年代初頭の日本では、英米法の専門家が少なく、アメリカの憲法審査基準が日本に根付いておらず、司法権は、行政権と立法権との三権の中で一番低い位置にあり、「司法権の優越」の意味が、十分に分からなかった。むしろ、アメリカ的なるものを作っていくことへの抵抗感が司法の中にあった、と歴史的な証言を行いました。
そういった状況下で、1952年に始まった警察予備隊、次の保安隊を前段階として、「自衛隊法」に基づく自衛隊が発足(1954年)したが、憲法裁判の対象となるのか不明確であったと指摘しました。
その後の、米軍駐留違憲判決(東京地裁の砂川事件伊達判決)は、いきなり二審を飛び越えて(跳躍上告)、最高裁で「統治行為論」を根拠に合憲(1959年)とされています。
法体系の構造により、民事や刑事の普通の裁判から、主観的なものが入り口となって、徐々に客観的なものになる、憲法裁判の課程を解説しました。
「消極的違憲審査」では、個人の権利の具体的な侵害が必要不可欠であり、「客観的に違憲」だけでは憲法裁判とはならないので、「私が損害を受けた」という仕組みで、(金銭による)損害賠償請求という仕組みで、裁判を展開せざるを得ない事の、問題点を強調しました。
違憲だけれども損害は無いとなると、客観的な訴訟は公なるもので、個人を超えたものでなくてはならず、「独立の憲法裁判所」を作るべしであり、この点に限っては、「九条の会」の呼びかけ人の一人の奥平氏も、憲法改正の必要性をきっぱりと肯定していました。
戦後のある時期まで、「公共の福祉論」によって、「赤子の手を捻る」ような判決が多く出されたと指摘し、その有名な例として、憲法21条の「表現の自由」が問われた、「チャタレー事件」(最高裁1957年)でも、本来「良い文学はどうか」を審査すべきが、刑法175条の「わいせつ文書かどうか」と、狭く解釈される傾向があったと嘆いて見せました。
しかし、司法が最近変わって来たとし、今年1月の大阪高裁等、各高裁レベルで続けて出された、参議院議員選挙区割違憲訴訟を取り上げています。参議院地方区選挙区で都道府県別に1人枠を確保した上で、残りの定数を配分する方法による、一票の格差の違憲判決です。高裁で立て続けに判決があった背景として、選挙法に限っては、第一審は選挙管理委員会であり、第二審が高裁、第三審が最高裁となる構造も解説しました。
戦時中に治安維持法で検挙された、『横浜事件』の再審請求では、国家からみれば、敗戦後の「大赦令」によって「免訴」となった扱いであり、免訴も無罪も同じだが、被告にとっては、「免訴=許してやる」と「無罪」とは、全く異なる事を表明しました。
しかし、被告の「名誉回復」の悲願を、裁判所も刑事補償手続きの段階で触れており、「免訴」に終わったものの、損害賠償を含めた判断いついては、奥平氏にとって「サプライズ」であったと強調しました。(横浜事件刑事補償決定)
沖縄返還時の費用を日本が払うとする、「密約」について、アメリカではFOIA(米国情報自由法)で、公文書が残っている。日本側の、密約の文書が無かったと、密約は無かったとの扱いとの違いに言及しました。(沖縄密約文書不存在処分取消訴訟)
政党機関紙(赤旗)の戸別配布が国家公務員法等に違反する、との罪に問われた裁判の東京高裁の無罪判決では、「わが国の民主主義はより成熟した」というキーワードは、示唆に富んでいるといった趣旨の指摘がありました。
北海道砂川市が、神社に土地を無償で貸したことについての、「砂川政教分離訴訟」の判決も、その新しい司法の傾向として捉えているようです。
最後の方で、鳩山内閣に言及し、変革の契機として「新しい公共」を評価していました。憲法について制度はあったが、魂が無かった時代との違いを強調しました。これらは、アメリカのオバマ大統領を始め、グローバルな規模の変化として捉えているようです。