1970年台頃からか、「擬似スレテオ盤のレコード」いうものがありました。レコードの吹込みがステレオ、あるいは当時の流行では4チャンネルの「センサラウンド」にまで及び、音質や再生技術の高度化を販売促進に結び付けようとした時代背景があったものか、と今になって推測しています。
「擬似」という冠が付いているのですから、「本物」でないことはご推察されるかと存じます。本来モノラルで録音された音源で、当初はそのまま発売されたものが、その後「再生技術革新」によって、「スレレオ化」されたものです。
純粋に「ステレオ」といってしまえば、「看板に偽り有り」となるので、「擬似」といった、はなはだ商品としては、へりくだった表示であったかと思います。さしずめ、現代の「アウトレット」に相当するでしょうが、「アウトレット」の方はかなり盛況の様子です。
例えば、オーケストラ演奏の単音録音を、楽器ごとに左右の配置に振り分けられたかのうように加工して、立体感を「醸し出そう」というわけです。
私宮岡治郎自身が高校生時代に良く聴いた「擬似ステレオ盤のレコード」に、1952年録音のフルトヴェングラー指揮、ウイーンフィルハーモニー管弦楽団演奏の、ベートーヴェンの第三交響曲「英雄」がありました。演奏そのものは素晴らしいのすが、中途半端な立体感があり、「擬似スレテオ」に関しては、当時(1970年代初頭)あまり好ましい記憶がありませんでした。
しかし、21世紀の現代の最先端技術ではどうなるでしょうか。現代の技術では音源の中の様々な音を波形で分析して、録音された音源を元手に、演奏本来の音を「再構築」することも可能でしょう。
まず、録音の音源に含まれる雑音はほぼ完全に削除出来るでしょう。弦楽器、木管楽器、金管楽器、打楽器のそれぞれのパートが、波形分析によって本来の配置に合わせて立体化することも、さほど難しくは無いのではなかと考えます。バイオリンとチロでは、同じ音程を奏でても、音色の違いが波形に表れるはずでしょう。
本来の音から、古い技術の録音による「音源」に移る過程で歪が生じているのですから、事後的な加工も、その歪を補正することで、真実に近づく訳であり、真実からより遠ざかるものではないでしょう。
擬似ステレオを、仏教に例えて、衆生に教義を理解させるための暫定的な方便とすれば、現代の「再構築的再生」は、真理により近いことは確かでしょう。勿論、一旦擬似的なるものを提供すると、擬似的なるものが浸透し定着し、それが仮想の真理となってしまい、本物の真理探求への道を妨げる恐れもあります。
コメント