古来よく使われた諺に、「李下に冠を正さず」というのがありました。更に、「瓜田に履を入れず」を揃えて、対句となっているようです。人口に膾炙する諺でしょう。
昔の中国では、李(スモモ)を棚で栽培していたそうです。そのスモモの棚の下を通る際に、頭にかぶった冠の傾きなどを手を使って直すと、あたかもスモモを盗んでいるかのように疑われる。したがって、そのような行為は控えましょうとなります。
ついでに、瓜(ウリ)の田(ここでは畑の意味)の中で、履(靴)の紐を直そうと手を伸ばせば、あたかもウリを盗んでいるかのように疑われる。したがって、そのような行為は控えましょうとなります。
以上の意味から転じて、一般的に(君子たる者は)「誤解」を招く事は、予め避けるべきである、という意味で使用されて来たようです。
私がよく耳にしてきたのは、政治家が何やらの利権や汚職まがいの疑いをかけられた場合、それを否定した上で、「誤解される事それ自体が、自分の不徳の致すところですので、今後は注意を払います。」といった意味での用例でした。
ところがこの諺は、政治用語としてかなり純度が高く、意味深長となっているのではないかと、最近になって気付きました。その真意は、かなり厳しいものです。
すなわち、政治家の一挙手一投足は、様々に恣意的に解釈されるのが常態であって、それには「誤解」だけでなくて、意図的な「曲解」さえも、想定されるといった、厳しさも甘受せよという覚悟です。
面白い事に、常々言葉が軽く、スタンドプレーやパーフォーマンスを連発する政治家の場合は、その日頃の腰の軽さ故に、「李下に冠を正そうとも」、「瓜田に履を入れようとも」、さほど問題にされません。のみならず、多少「剽窃」や「窃盗」が有ってさえも、「あの人の事だから」とか「またですか」となってしまう嫌いさえ有り得ます。言わば味噌っかすに許された特権です。
ところが、謹厳実直あるいは言葉に重みのある政治家が、ふと不用意に漏らした一言が、さまざまに曲解される可能性は充分に有り得るのです。
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